トムラウシ山遭難事故

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トムラウシ山遭難事故は、2009年7月16日早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われたことで、18名(男5名・女10名・ガイド3名)のツアー客のうち、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡した事故。夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる数の死者を出した惨事になった。

トムラウシ山

トムラウシ山や旭岳などを2泊3日で縦走する計画だった。2009年4月13日に広島・仙台・中部などから千歳空港に集合した一行は、チャーターしたバスで旭岳温泉白樺荘に向かった。ガイドは、天気予報を見て14日は大丈夫だが、15日、16日に天候が崩れると予想していた。いずれも50~60代であったが、登山経験が豊富なメンバーが多かった。

7月14日に一行は、旭岳温泉を起点として、旭岳ロープウェイを利用して、標高1,600メートルの姿見駅(山頂駅)から歩き始めた。旭岳の山頂を経て、白雲岳避難小屋(60人宿泊可能・有人小屋)に1泊した。天気予報のとおり、夜から雨が降り始めて、61歳の女性客がほとんど食事をしなかった。

7月15日に白雲岳避難小屋で朝から大雨だった。登山道がまるで小川のように水が流れる状態になっていたが、この日に特に問題が起こることもなく、忠別岳、五色岳、化雲岳を経由し、16キロを歩いてヒサゴ沼避難小屋に15時頃には到着していた。泥道を長時間の歩行したことで、パーティの全員が疲労困憊していた。しかし、ヒサゴ沼避難小屋は、それほど整備された避難小屋ではなく、狭い上に雨漏りが酷くて床が濡れていた。小屋の中も雨漏りが多い状況で、濡れた装備を乾かすこともできなかった上に、寝袋まで濡れた状態で寝る有様だった。それでも、20時頃には就寝した。

7月16日に3時45分には起床した。出発時間を30分遅らせて、5時30分に避難小屋を出発した。風が強い中を歩いて、出発から3時間後の8時30分頃にロックガーデンに到着した。9:30分頃までは、パーティとして遅れるものはいなかったが、その頃に男性1人がふらつき始め座り込むなどの症状がでたこともあり、ロックガーデンを終えた地点のくぼ地で休憩を取った。10時頃に到着した北沼では、登山道をさえぎるように水が川のように流れていた。そこをガイド2人が水の中に入って支えてメンバーが渡るが、川を渡り終えた10時30分頃には、低体温症で動けない人が出た。ツェルトを設置して、ガイドが一緒にいたが、すぐにまた別の人が動けなくなって、もはや3人のガイドで手が終えない状況になっていた。その後、もはや統率の取れない状況で各自がバラバラで下山したりするなどして、ツアーの半数にあたる男女7名、ガイド1名が死亡する惨事となった。

登山の問題点

この登山の最大の問題点は、経験が多いとはいえ、50代から60代中心のパーティで、かつ女性が10名であったということが問題だった。天候が悪いなど悪条件では、複数の女性が遅れる可能性があり、そうなるとガイド3人で支えることが難しくなる。ツアー登山で50代から60代の女性を連れていくには、あまりに難易度が高い山だった。そのようなことは、実際に何度かペースが遅い人、高齢者などと登山していれば分かるはずだった。

このパーティは、ヒサゴ避難小屋の状況は、雨漏りだらけで状況が悪かったことで、翌日の行動で事態を悪化させた可能性があるでしょう。寝袋が濡れた状態で良く休める訳もなく、速乾性のシャツ、そして寝袋が濡れないようにエマージェンシートを外に使ったり、タープなどで屋内でも雨漏りを何とかする方法はなかったものかと思います。

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